
日本語とは本当に不思議で奥深い言葉です。
5個(アイウエオ)の母音(ボイン:色んな意味で女性的かも〜)で構成されている発音は、神界で鳴り響いている音とも共通します。
日本語=神界言葉とも言えます。
今朝に思いました事は、「一寸の虫にも五分の魂」(どんなに小さくて弱い者でも、それ相当の思いや意地を持っていること。
小さくても、ばかにできないたとえ)を思いました。
日本語のことわざ的な文句には、何気に真理を示唆するものが多いです。
今の社会には自分自身の事を、一寸の虫なみにダメな奴だと思い込んで、本当に自信(じしん:自神)を無くしている人が多いです。
時が経てば消えて行く人間の外見には、一寸・二寸という見かけの違いはあります。
しかし、魂の大きさは皆さん同じです。
神様からの分霊なのです。
魂には五分・六分の違いは一切なくて、全員が「十分」な同じ大きさなのです。
ただ違うのは、魂が自覚(じかく:気付いている事)しているか否かの違いだけです。
では、何に気付く違いなのか?
それは、自分の心に神様が居ることに気付いているのか?
たとえ自分で気付けなくても、自分の心に存在すると言う神様を信じられるのか?
が、各人で違うのです。
これが、人間の人生に影響し、人生を変えます。
だから、私の魂と皆さんの違いは、内在神への確信具合が違うだけです。
私も生きる上で、苦難や災難や悩みも発生します。(去年、雷に打たれましたから〜)表面では、それらに遭ってはいても、しかし心の深奥では常に不変で絶対安心した気持ちで居ます。
そして、この世の出来事を味わい、苦しい事にも「シビレさせてくれるね〜」と楽しんでいます。
人間は、自分の内在神への自覚を持てない限り、よそ見ばかりして迷うことに成ります。
死ぬ時は、身体1つ裸で死んで行く真理を見ても、他所には頼るべきでは無いことは絶対なのです。
他所に頼る習慣は、いざいざと言う時には大きな不安となり、必ず迷うことに成ります。
今の普段から、自分の心の良心=内在神を見つめる習慣が大切なのです。
感謝の先祖供養や神祭りも、それをする自分自身を見詰める行為なのです。
この世で何が起ころうとも、楽しんで生きましょう。
期間限定の事ですから、どんな事も大したことでは無いです。
絶対に大丈夫です。
耐えられます。
過ぎ去れば、どんな事も良い思い出へと変わります。
生かして頂いて ありがとう御座位ます





























シュッ





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